Mother

夜更けのレストラン。
ワイングラスを口元に運ぼうとしていた私の手が止まった。
テーブルの向こうに座っているのは、数ヶ月ぶりに会った2人の親しい友人。
その内の1人が、自分が妊娠していることを告げたのである。


彼女は以前から子どもが欲しいと言っていたので、これは大変喜ばしいこと。
私も多少驚きはしたが、心から「おめでとう」という言葉を贈った。
すると彼女は、交際相手との結婚は考えていない、と続けたのだ。


もう1人の友人はじっと彼女を見つめている。
私は、「結婚は子どもを持つのであればメリットがある制度」だと考えているので、
結婚した方が色々と便利かもしれない、と言ってみた。
ちなみに彼女の交際相手は結婚を望んでいるらしい。


「子どもは欲しいが、結婚はしたくない」
これも以前から彼女が言っていたことである。
彼女は大変賢い女性だし、バイタリティーもあるし、経済的にも自立している。
立派なシングルマザーになれるだろう。


私は彼女の気持ちも理解できる。全部ではないかもしれないが。
詳しくは書かないが、一言で言えば「自信がない」のだ。
しかし、子どもを育てるということは本当に大変なことだと思うから、
それをやろうと腹を決めた人間であれば、結婚もできるのではないかとも思う。


断っておくが、私はシングルマザーを否定しているわけではない。
私自身、将来その選択肢を選ぶ可能性もゼロではないとも思っている。
ただ、以前よりもマシになっているとはいえ、現在の日本の社会で、
それをやっていくのはまだまだ大変なこと。
私はきついことが嫌いなので、相手が結婚できない状況でない限り、
おそらく結婚という選択肢を選ぶと思う。


でもまあ、結婚制度とか育児支援とかキャリアとか食い扶ちとか社会の目とか
ラクだとかきついだとか、様々な障害や感情はあるのかもしれないが、
「子どもを産み、育てたい」
本来人間が持っているであろうこのような自然な感情が、いつも我々の中に
渦巻いているエゴイスティックなまでの欲望に勝つポイントが来れば、
女はその感情に従って、どんな状況下でも産んで育てると思う。きっと。
「好きな人と一緒に暮らしたい」という感情もまた然り。


以前ここに書いたような気もするが、学生の時に桐島ノエルの手記を読んだ。
シングルマザーである彼女は、子育てについてこんなことを書いていた。


「苦しいことは我慢できる。自分で選んだ道だから。
辛いのは、嬉しいことがあった時、その時間を誰かと共有できないこと。
子どもがはいはいをしたとか、立ったとか、しゃべったとか。
その幸せな瞬間を分かち合えないのがどうしようもなく辛い。
だからみんな簡単にシングルマザーの道を選ばないで。」


私は友人にこの話をした。彼女は黙って私の話を聞いていた。
後で「あの言葉はしみた…。」というメールが届いた。


彼女はもしかしたら結婚するかもしれない。やっぱりしないかもしれない。
でも紛れもない事実が一つ。彼女はもう既にママになっているということ。
私はそのことがなぜかどうしようもなく嬉しくて、ワインボトルを空にしてしまった。


♪1人じゃ持ちきれない素敵な時間にできるだけ一緒にいたいのさ〜 か。