吐き気

今日、新聞を見て口に出して言ってしまった。
「吐き気がする」


私は小心者なので、今回の事件についてはここに書かなかった。
とにかく「勇気がなかった」ので、mixiの方でちょこちょこと書いた。
その小心者ぶりを発揮したのはとても恥ずかしいことだと思うが
それを謝罪した上で書きたいと思う。


私が吐き気を催したのは、地元地方紙の全15段*3ページわたる広告紙面だ。


伊藤一長さん(前長崎市長)3期12年ありがとうございました。
「長崎を」「平和を」「ひまわりを」こよなく愛した
伊藤一長さん(前長崎市長)本当にありがとうございました。

というタイトル(原文通り)、大小10枚ほどにわたる写真、
その下に広がる5行*9列*3ページの名刺広告。


しかも地元の大きい(タカは知れているが)企業から集めていて、
集める時の営業トークまで聞こえてきそうな広告だ。
何なんだこれは。


以前から(mixiにだけど)書いていたように、今回の事件はあってはならないもの。
私が以前から伊藤のことを嫌いだったことも今回は関係ない。
ただ、とにかく、この広告は気持ち悪すぎる。どう考えても。


伊藤は確かに一般市民にはウケが良い部分もあった。
「ガバナーは感じが悪いけど、メイヤーは感じが良い」
そういう言葉も今までにいっぱい聞いてきた。
それに対して私は特に何も思わなかったし、言わなかった。
「そんなもんなんだろうねー」
ただそう思うだけだった。


弔い選挙と言われた先日の選挙に関しても、高齢者が多い都市周辺部では
故伊藤市長の娘婿の方が「勝って」いた。その時も、
「そんなもんなんだろうねー」
またそう思った。


田舎の政治なんてそんなもんだ。
田舎でなくとも、国民の多くは、小泉劇場の中で踊った歴史を持つ。
集団の意見は、集まれば世論になる。
そういう事象や人を責めるわけでは毛頭ないし、それどころか
それが人間、というか民主主義。といも言えるでしょう?


ただ、それらの流れを作るのにメディアが力を貸しているのは
紛れもない事実。


あまり話題にもならないが、伊藤がめざしていたのは4選だ。
普通ならそれだけで、多選を理由にメディアが批判に走ることもある。
伊藤が殺害される前までは、そのことはうっすらと取り上げられたこともあった。


でも、伊藤が市長を務めた4年*3期の間、目立った功績を残していないことは、
私が見る限り、メディアが取り上げたことはなかった。
そのことを指摘する人もあまりいなかった。
私はそれがとても不満だった。
メディアに対しても。市民に対しても。


「伊藤は何もやっていないから、成功したんだ」
誰かが言ったその言葉を、私は忘れることができない。
その通りだと思った。


でも、伊藤が「死んでしまった後」、
敢えて言うのであれば、「殺されてしまった後」、
そういうことを新聞やテレビで目や耳にすることは、さらになくなった。


一言で言えば、「なんなんだ、この英雄扱いは?」。
彼にとってみれば、今後これ以上の扱いを受けた可能性があったか?
殺されなかったとしたら?


閑話休題。広告に関して。
メディアが自由な発言をするために経済的な体力を持たなくてはならない。
それは分かるし、大事なことであると思う。


ただ、新聞のページにいくら「広告のページ」という表記があっても
「これは新聞に載っている」としかとらえない人がいるのも事実だ。
それを分かっているのだろうか?この新聞社は?
とにかく、「伊藤市長のご冥福をお祈りします」というタイトルではないのだ。
超お涙頂戴形式。


色々と思うところはあれど、一応「フラットな気持ちでいよう」とか
「多面的に物事をとらえよう」という自覚を持っているつもりの私自身の口から
「吐き気がする」という言葉をぽろっと出させてしまった。
この数枚の紙は。
最近面白い企画もあったが故に、とても残念である。


あたしが本当に言いたかったことは書けていないと思う。
まあそれでもいい。
とにかく、ただただ、本当に気持ち悪いのだ。今。