小値賀

合併を拒否した島、小値賀町


この決断は、どうしても否定的にとらえられる場面が多い。
そういうことを言う人に会ったこともあるし、
そういうことが書かれたものを読んだこともある。
時代の流れを汲むと、その通りなんだろうね。


でも、彼らはちゃんと小値賀の地を踏んで空気を吸ったのだろうか?
地元の人と会話をして、リアルな小値賀を感じたのだろうか?


突然ですが、私は、今からとても恥ずかしいことを書きます。


地方自治を扱うこぢんまりとしたゼミに属していた私が
最後の1年間に選んだテーマは市町村合併だった。
平成の大合併」が本格的に始まったあの頃。
はしりの西東京市の合併協議会を見に行ったりしたっけな。
(別にあまりためにはならなかったけど)


私は(ゼミの先生の考えも踏まえた上で)、
「受け皿(基礎的自治体である市町村)が習熟していない、
という理由で分権を阻むことは許されない。
とにかくやらせましょう。とにかく分権しましょう」
というスタンスをとっていた。


今の感想。
半分当たりで、半分はずれだ。
当たり外れの詳細は書かないが、どうしてそうなったかは分かる。
その当時の私は現場をほとんど知らなかったからだ。


そしてそれは、前述の「こういうことを言う人」や
「こういうことを書いた人」が持った
「合併しなかったらどうにもならないでしょ?」
という投げかけの答えでもあるような気がするのだ。


小値賀はこの夏にある分野で世界一になった。
これは本当にもんのすごいことだ。
エージェントに食われずにやっていく可能性が生まれた。
でも、この島が世界一になるまでには、少なくとも
3年の月日がかかっている。


3年前から今まで。
小値賀にこのようなポテンシャルがあることを分かって
発言をしていた人がどれくらいいたのだろうか?
はずかしながら私も夏まで知らなかった。
でももし私が小値賀に足を運んでいたら?
この動きの片鱗には、否が応でも気づいていたはずだ。
今回小値賀に足を運んで、それは間違いないと思った。


別に「合併しなかったことがかっこいい」というわけではない。
「合併しなかった」から故の苦しみや葛藤も肌で感じた。
この島は、これからだ。


そして、現場を知らずに考えたり発言したりすることの恐ろしさを改めて感じた。