選択肢

パン屋へパンを買いに行ったら、あんパンとクリームパンしかなかった。
あんパンを買った。
あんパンは好きだけど、なんとなく満足しなかった。


もし、別のパン屋に行っていたとする。


そのパン屋には、あんパンやクリームパンはもちろん、バゲット
サンドイッチもペストリーもちょっとしたケーキもあった。
その中から私はあんパンを選んだ。
あんパンは好きなパンだから、とっても満足した。


これは仮の話。


いっぱいある選択肢から何かを選ぶという行為は、
とっても楽しいことであり、満足度はムンムン。
あんパンは元々好きなのに、両方の満足度には差がある。


学生の頃、近くにダイエーがあったので良くそこで買い物をした。
その頃ダイエーはまだ元気で、自社製品のSavingの新製品が
次から次と出ていた。
Savingの商品は他のブランドよりも「安い」ので、学生だった私は
「すりゴマ」だとか「スライスチーズ」だとかを良く買っていた。


でも、Savingが「売れる」と分かった頃、ダイエーの棚に並ぶ
他のブランド商品は少しずつ減っていった。
「安い」から買っていた私も、「あれ?」と思うくらい。
で、Savingを買うのがなんかちょっとイヤになった。
お得意の天邪鬼精神も働いて。


最終的に購買の意思を決定するのが「値段」であったとしても、
その購買による満足度は、「質」だとか「タイミング」だとか
いろんなものを勘案した上で「選択できる」という素地が整った上での
話なんじゃないかと思う。


で。
現実問題として「お金がないからこどもは産まない」という
人がたくさんいることは知っているけど、出産や育児にかかる
お金をちょっと免除するくらいで、出産率がそう上がるもんだろうか?
こどもがたくさん欲しい人は、いくら経済的にきつくても産むだろうし。
そういう政策に「新たな出産」を生み出すまでの力はない気がする。


こどもを産むのも自由。産まないのも自由。
その他にも、こんなにたくさん選択肢があるよ。


そういう社会だったら、今産まないって言ってる人も産んじゃうかも。
そう思う私は変でしょうか?