専業主婦

少し前のくろちゃん日記がとても興味深かった。
ミクッ子じゃない方のために引用させていただきます。
tekusuke様、引用方法に問題がありましたらお知らせください。

またしても安斎さんの日記から。


「しかし視点を「自己が外に生まれる」というところにもってくると、やはり専業主婦は表面的な安泰さとはうらはらに、索漠たる孤独を強いられている。
家事労働と子育ての労働を過小評価するつもりはないけれど、それをもって人生の終の仕事とするのは、やはり間違っていると思う。」


コメント欄のやりとりも含め、うひゃーおもしろい。そう、専業主婦は国策です。
しかも第二次大戦後(特に高度経済成長期)に明確に位置づけられた政策なのです。
しかもそれは、単に女性を家庭に押し込めるだけではなく、男をさんざんこきつかい、その労働力を徹底的に搾り取る、ということでもあります。


で、その政策にまんまとどっぷりつかる人がこれだけ多いということは、政策転換をすることでその状況を解消できる可能性があるということ。最終的に「転換」するのは本人だけど、それは案外引き金だけの話なのかもしれなくて、その背景は政策で整えられる(ことも多い)、ということ。


大体、人口減少云々の流れで「労働力人口の不足」なんて言うが、専業主婦を労働市場に再び引っ張り出せば、十分どころかプラスサムにすらなるんじゃない?実際、学校の成績も女性の方が優秀なわけだし。


…という視点で「新経済成長戦略」を80秒くらい読んでみる。
http://www.meti.go.jp/press/20060329003/20060329003.html


「専業主婦の活用」なんて考え方は、完全に皆無。


でも社会構造をどうするかというのはマクロ政策の基本中の基本。そう思って読んでみると、この戦略、なんだか小手先の手段ばかりじゃないか?


……んでちょっと指摘があって(latinによる中略)


確かに、入口(生物学的な個体差)と出口(雇用がない)というあたりは、十分な検討が必要ですね。
ただ一方で、たとえば「医学部では女性の枠を減らしている」とか「育児制度の負担を考えると企業も女性の採用を躊躇しがち」といった面は、やっぱりあると思います。


どのように現状を分析し、どこを立脚点とするかは十分な吟味が必要ですが、ゴールとして「そもそも女性にもっと働いてもらおう!」というのを設定すべきでは、と思っております。


正直、「女性の専業主婦化」って、女性だけでなく男性もある一面では犠牲者なのでは、という思いが強いのです。

最後の一行を読んだ時にちょっとすっきりした。
これまで「女性(専業主婦)にもっと働いてもらおう!」論理って、
都合良く使われている場面が割と多いような気がしてしっくりこなかった。
特に日経新聞読んでると。
別にあたしは専業主婦マンセーではないんだけど。
#どうもあの新聞って、ある特定層に媚を売っているような感があって
#雑草育ちのあたしとは肌が合わない。


ふと、花田光代が組織論の講義で言ったことを思い出した。
「女性が会社で『出世する』ってことイコール、男性と同じように
『転勤でも超過勤でもやります』ってことが前提です、っていう
今の企業のスタンスはちょっとおかしいんだよね。
男性中心の仕事社会での『当たり前』が本当に正しいのか。
まずはそれを良く考えてみるべきだと思う」


もうあれから10年近く経ってるけど。
それって今の社会構造云々の話に通じるような。


でもさ、
「『女性の専業主婦化』は男性もある一面では犠牲者である」
なんていう発言は、男性がするから説得力があるんだよね。


ジェンダーフリーっていう言葉が嫌いだ」というプレッシャーに従って
男女共同参画(この言葉もええ加減にせい)関連の計画モノから
その言葉が消え去る、なんていう子どものケンカみたいなものを
目の当たりにする今日この頃。
くろちゃんの日記は読んでて久々にスカッとしました。頭がクリアになったよ。
ありがとう。お礼はそのうちカステラで。