体験
今いるセクションがセクションなだけに、毎日子どもに関する話を聞く。
最近良く聞くのが「子どもに体験をさせる必要がある」というもの。
体験といっても夏休みに良くある自然体験などに限らず、
生きていくためには「知っておかなければならないこと」全て。
少し前までは、私も「何をそんな大げさな」と考えていた。
でも最近はそれが大げさなことではないと思うようになった。
例えばある中学校の掃除の時間。
・「ほうきで床を掃く」ということは知っていても、
「ゴミを集めてそれを捨てる」ということは知らない。
↓
教室の前から後ろからほうきで掃いて、ゴミを撒き散らすだけ。
・「雑巾を水に浸して絞って使う」ということを知らない。
↓
教えてもらって床を拭くが、「使った後は水で洗う」ことを知らない。
↓
汚れた雑巾を捨てて、次回は「先生、新しいやつください」と言う。
「今の子どもは」なんて良くいうけれど、昔も今も基本的に
子どもは変わっていないと思う(発達障害が増え気味ではあるが)。
私が小学生の頃だって「今のこどもは」って言われてたし。
ただ、子どもは自分が体験したことがないことは原則「できない」。
だから、大人になるまでにいろんな体験をしなければならない。
場合によっては、大人がそういう機会を教えてあげる必要がある。
体験したらできるし、教えてもらったら理解する。
さっきの掃除の話だって同じ。これって、
「人を叩いたら相手が痛いということが分からない」とか
「人を殺しても、またゲームみたいに生き返る」とかと、
同じ種類の話だと思う。
あたしが前に「大げさな」って言ったのは、わざわざそういう体験を
「社会教育」なる分野で行うのがどうなん?って思ったから。
そんなん普通の生活でできるはずでしょ?って。
でも、本当にそれが難しくなっているのだ。
私達の世代はまだそういう体験ができていたのかもしれない。
身体値によると、私より4〜5歳くらい下にまず大きな溝がある。
それより下はもっと、もっと、もっと。
本来なら生きているだけで体験できることを、わざわざプログラムとして
用意していかなければならないなんて、悔しいやら悲しいやら。
でも、子どものためにはしょうがない。