こどもども

子供という表記を最近見かけなくなった。
少し前に「どうしてかしら?」と調べていたら、
「供」という字が上から目線だから、という理由に
当たったことがある。
「ものども、出あえー!」とかの「供」ですかね。


その時は、言葉って時代に応じて変化していくものだから、
今使っている人がそんなふうに思わなかったら(あたしは思わない)、
別に使っても問題ないんじゃないの?と思ったのを覚えてる。


ただ、子どもを上から目線で見るのはしょうがないんじゃなかな?
単純に大人(ストレートに言えば親)は子どもより偉いし。
だってご飯食べさせてるんだよ。


こういっちゃなんですが、あたしは「こどもの権利条約」を
振りかざす人が大嫌いだ。
もちろんこの条約を厳しく適用すべき国があるのは知ってるけど、
日本はそういう国じゃないと思う。


なんて最近言うとすぐに虐待のことを持ち出す人がいる。
確かに最近虐待は「普通」の家庭で起きた例もあるけど、
それは稀なことだし、「普通じゃない」家庭もカウントしても、
母集団から考えるとやっぱりいまだにレアケースだ。


レアケースを真剣に考えるのを否定しているわけではないけれど、
「条約」のように究極に「おしなべた」ものを使って
重箱の隅をつつくようなことを言う人にはうんざりする。


まあ、最初の話に戻って、子供の「供」がさっきの意味だとすると、
「供」って複数形の意味を持ってることが多いよね。
でも、今は「子ども」は単数形でも使う。複数形は「子ども達」だ。
じゃあ「子供達」を古語で言うと、「こどもども」になって変な感じ。


子どもの権利云々じゃなくて、別の理由が大きいんじゃないかな?
なんか良くわかんなくなっちゃったけど。