ソツのある女子

一つのことをじっと考えていると、
会う人会う人が似たようなことを言ったり、
読む本読む本に似たようなことが書いてあったりする。
きっとアンテナの感度や方向の加減なんだろう。
本当はいつもと変わらない毎日なんだと思う。


友人が話す「大きな挫折を味わうことなく今まで来てしまった」コンプレックス。
「もし戦争を経験していたら、もうちょっと違う私が今いるんじゃないか?」
不謹慎にも思えるその言葉に「いや、それ分かるな」と共感していたら、
コンプレックスという表現ではないけど、若い世代の弱点として、
次の日に読んだ本の中にもちょっと似たようなことが書いてあった。


何のために働くのか

何のために働くのか


こういう本を読んでいる自分のことをちょっと笑ってしまうけれど、
今考えていることそのものがタイトルになっていたのでしょうがない。


「モラルをしっかり持ちなさい!」とずっと説教されているようで、
ちょっとお尻がむずがゆかったり、イライラしちゃったりもしたけど、
たまに「あーなるほどねー」ということも書いてあった。


#ここは今回のテーマとはちょっと違うんだけれど。
戦後、精神的な豊かさを捨てて物質的に豊かになった日本だが、
このままではどちらも失ってしまう。
今どうにかすれば、物質的にも精神的にも豊かな社会は実現する、
というくだりは、うーんどうなんだろ、と思った。
プチ右翼としては、アメリカンな考え方がまずい感じで入り込んでしまっている
今の日本の感じはあまり好きではないんだけど、でも両方獲るって可能かなあ?
みーんなが一緒に貧乏になったら、精神的に豊かになるとは常日頃から思う。


で、続き。
久しぶりにお会いした人から言われた言葉。
「あなたは、まだ打ちのめされたことがないんだね。
早くとことん打ちのめされる機会にぶち当たれればいいね。
そしたら小さな悩みなんてどこかへ飛んでいっちゃうよ。
そんでもって、本気で人に頼ってみようっていう気も起きるよ」
素敵な笑顔で言われたので、私も思わず笑ってしまった。


本当にそうかもしれないな。
何か今までずっと、とにかく何でもソツなくやろうと思ってたような。
だから、大きな挫折も(成功も)なかったんだろうな。
でも完璧になんてできるわけなくて、それで小さな谷にちょこっと落ちるたびに
くよくよして、また復活して。
1度底まで落ちなさい、だなんて良く考えるととんでもないことを
言われたはずなのに(這い上がれなかったらどうする!)、ちょっとすっきり。


で、また別のメール。
「嫌な仕事をすべて一生懸命やってたら身が持たない。
ランク分けして、最上級の『適当にやる』から
最下級の『やらないよりややましぐらいにやる』くらいの対応を」
ベクトルは全く違う内容なんだけど、不思議と似たようなすっきり感を覚えた。


これからはソツある女子をめざします。
ご迷惑かけてすみません、皆さま(先に謝っておきます)。