自分が個性的だとは思わないが

週末、いらない服を少し処分した。
あるバーのソファに座ったら、途端に化学反応を起こして
ベタベタになってしまったJOSEPHのフェイクレザーパンツは
今思ってもちょっともったいない。


ところで、私は服や靴をそうそう処分しないから珍しいことだ。
今日仕事に着て行った服も10年くらい前に買ったものだし、
学生時代から着てる服もたくさんある。
別に飽きないもんなあ。
ボロボロにならない限り、あまり捨てない。
流行りものも買わないし。


そういえば、今まであまり流行に乗った服を買った覚えがない。
自分がすごく好きだと思った服があって、その質も適度に良ければ
「ああ、好きだなあ」と思って買う。ただそれだけ。
かといって、コンサバな服ばかり着てきた覚えもない。


小さい頃から、うちの親には「みんなが持ってる」というセオリーは
切通用しなかった。
「みんなが持ってるって言ってもダメ」と直接言われたわけじゃないけど、
言外にひしひしと伝わってきた。服だけではないんだけれど。
小学生の頃パーカーが流行った時も、どうしても欲しかったけど、
親が絶対に買ってくれなかったことをさっき思い出した。


でも、「これは生地もいいし、かわいいわね」と親が判断した服は
ちょっと変わったデザインであっても買ってくれた。頼んでないのに。


そのような状況にいると、幼い私は
「人と違う自分はちょっとかっこいい」と思うことで
自己を確立するしかなかった。
家にファミコンどころかテレビがないことも、鉛筆は手で削ることも、
誕生会を開けないことも、人と同じような洋服を買ってもらえないことも、
「それがかっこいい」と思うしかなかった。


結果私は「ちょっとひねりが入った」ヤツになったかもしれないけど、
おかげで洋梨の芯とかプラムの皮みたいにちょっと酸っぱいとこを持てたかも。
そういう意味では、私は親から「ちゃんと」育ててもらったように思う。


今日着てた「蛾みたい(と言われる)」な服をさっき脱ぎながら思った。